「めし」とのみ書かれた店に入りゆく石仏めぐりの旅の終わりに

松村正直『やさしい鮫』(ながらみ書房、2006年)

 

「旅の終わり」というと、旅先をはなれる間際、ということになろうか。これで旅もおわり、あとは帰るだけ、その帰路の手前のところで、この旅をはやくも振り返りつつ、あるいは惜しむような時間である。「石仏めぐり」のさいごの石仏のそばの、ちいさな飯屋を想像する。

 

その飯屋、「めし」とのみ書かれていて、それがいかにも旅先らしい。ほかに食うべきところもないのだとおもう。あるところでは「仕方なく」はいるのだが、店名とか何を食わせる店なのかとかいっさいない、ただ「めし」の二文字が浮かび上がるところに、またあるところでは「これも旅だな」とすこしく高揚しつつはいるのである。そこには、旅のさいごの部分を大事にあじあうこころもある。

 

ひとつには家族の時間があり、また労働の時間がある歌集のなかで、それらとはちがった開放感のあるのが、こうした旅のうたである。それは最新歌集『紫のひと』の濃い情動からむ旅の時間ともまたちがっているのだが、それがたとえば「石仏めぐり」であるところなどには、一貫したこころの向きを感じる。

 

なにかをたどりながら、めぐりながらいく旅の時間に、土地にからだを重ねるような行き方がある。そういう旅の、ふだんとはちがった時間の流れ方、空間の立ち方というものがリアルな一首。いつまでも「めし」のひらがな二文字が残像のごとくはためく。

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