中村敬子『幸ひ人』柊書房,2018
今の住まいの近くには緑道があって、このごろは桜が見ごろ。週末にお散歩をしながら、ささやかなお花見をしました。
咲き誇る桜たちよりも気になったのが、太い木の幹から、いきなり咲いている花があるところでした。幹から直接咲いているその咲き方を、「胴吹き」というんだと知りました。
老木に多く、エネルギーを振り絞って幹から花を咲かせているものなんだそう。
この歌の上の句、「胴吹きの花のあとから枝のびて」は、花のあとに枝葉の伸びる桜の事象を言い表したもの、ととりました。そこに、にんげんの、さらにはこの歌の語り手の生も重ね合わせているのでしょう。
すると、どうしても「花」の美しさのほうに引っ張られて、人生観を美化してしまうというか、言葉が光ってしまう恐れもありますが(そういった「美化」と短歌は、相性が良すぎるかのもしれません)、
「難しいのは終わり方だな」という身も蓋もないことを言ってしまえること、その語り手の面映ゆい呟きそのものが、かえって「花」の景よりも煌めいてみえます。
にんげんの生の経験の浅さから、老骨に鞭打って、というような「老い」に関する歌を、あまり好んで読むことはないのですが(そして、そのことを恥ずかしく思っておりますが)、
「終わり方」というやさしい括り、そして「だね」でも「だよ」でもなく、ひとりごつ「だな」で綴じられるところに、未熟とは相反するところにあるような、不思議な軽やかさに魅せられた一首でした。