夕光が送電線をなぞりゆく突き放すなら引き寄せないで

木ノ下葉子『陸離たる空』(港の人、2018年)

 

陽がおちてきて、ななめからひかり差す夕つ方。そのためか送電線をつーっとなぞるように夕光が添う。歌集では、

 

夕光ゆふかげが送電線をなぞりゆく突き放すなら引き寄せないで

 

というふうにルビがふられている。「かげ」には光(ひかり)と影(かげ)のふたつの意味があるが、ひかり/かげのちょうど半々になるような時間が、夕方というときなのかもしれない。ひかりもかげも、それゆえあらわに、印象深くなる。

 

そういう光景をおもいうかべながら、下の句がある。「突き放す」には「引き寄せ」るしかないのだが、それは「突き放す」側の言い分である。「引き寄せ」られて、そのことにすこしく安堵し、また、そのもとにながく安らうことをうたがわないひとを、それを翻す力にかえながら、ひとはひとを「突き放す」。

 

「引き寄せ」る/「突き放す」を、たとえばひかり/かげと並べて置いてみる。やがて暗澹たる夜が来る。この夕どきの、予感のような時間を、わたしはときどきおもいだしたようにこわくなる。それなのにまばゆい夕光に、なおもこころを引き寄せられながら。「光」と「電」とが縁語的にも寄り添いながら、しかしついにふれることのない、しずかな時間がある。

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