繫がらぬ母への電話あおぞらを飲み干すように深呼吸せり

さいとうなおこ『逆光』(北冬舎、2008年)

 

母へ電話をかけてみるが、つながらない。つづけて三句以降を読めば、ただごとではないとわかる。繫がるはずの電話なのだ。コールが何回かつづいて、沈黙がすぎる。あるいはそれを幾度も幾度もかけてはくりかえす。やっぱり繫がらない。おもいはめぐり、気を揉む。あるいは呆然とする。またじっとしていられない。

 

歌集では、このあといくらもしないうちに母が亡くなる。あとがきに「パーキンソン病がすすんだ母を看るために勤めをやめた」と、事情・背景が記してある。やはり気が気でないという場面である。おちつけ、おちつけ、と自らの正気をとりもどすべく「深呼吸」する。

 

「あおぞらを飲み干すように」という比喩がすごい。「飲み干す」というと、どちらかといえば大海のほうだが、ここでは「あおぞら」である。電話かけて、かけて、繫がらない。おちつけ、おちつけ、と深呼吸する。大丈夫、大丈夫。おのずから顔をあげるかたちとなる。しぜん、空をあおぐ。青空である。

 

それをこころ深く深く吸い込んで、飲み「干」さんばかりというのだから、それはもう、こころを落ち着かせる、冷静をとりもどすというところをこえて、苦しくさえおもわれてくる。胸にまっさおな大空を抱え込んで、いよいよ、どうしようもなく、苦しい。そのことが、比喩をこえて迫ってくる。

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