低氣壓はラサ島におこりをりといふわが庭に萩はゆれゐたりけり

前川佐美雄「忍海堂詠集」『心の花』1926年9月号

 

わたしたちの知る「前川佐美雄」と言えば、いわゆる〈モダニズム短歌〉の、きりきりに尖った作品を思い浮かべるものですが、

じつは彼の最初期の作品は素朴な自然詠が殆どである…ということは、三枝昂之氏の名著『前川佐美雄』でも明らかにされています。それらの作品群は『春の日』と題されて、のちの世に送り出されます。

では、いったいどうして佐美雄は変貌を遂げたのか。このことに関して、わたしは三枝氏とはいささか異なる考えを抱いています。

 

今日取り上げた歌は、最初期の佐美雄の作品のひとつ。これを読んで、茂吉『赤光』の代表歌、

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり

を思い出したかたは、少なくないのではないでしょうか。

「低氣壓」と「たたかひ」、疾風を巻き起こす何か不穏な出来事が、「ラサ島」「上海」という、日常生活を送る場からやや離れたところで起こる、という上の句。

それに対して「萩」、そして「鳳仙花」という、植物の鮮やかな色彩を下の句で取り合わせている。

 

この「低氣壓」の歌は、のちに「低氣壓はラサ島におこり居りといふわが庭に黍の靑葉ゆれをり」と改作され、『詩歌時代』1926年10月号に掲載されています。

結句が「ゆれゐたりけり」から「靑葉ゆれをり」に修正されているのは、茂吉の歌の結句「散りゐたりけり」との類似・連想を避けたかったからではないか…と、なんだか勘繰りたくなってしまう。改作されたことによって、むしろ余計に目立つその響き合い。

場所と色彩こそ違うものの、歌の構造や発想は、とてもよく似ています。

 

この、「とてもよく似ている」ことに真っ先に気がついたのは土屋文明でした。

「アララギ」に噛みつくようなことばかり書き記していた佐美雄と、かれの作品の「模倣」を指摘する文明は、結社誌上で激しい論争を繰り広げます。

のちに「模倣論争」と名づけられるその言い争いのさなか、佐美雄の作風に変化が生じます。たとえば。

 

『心の花』1927年3月号

 前川佐美雄「吉野奥山の歌」

雪にこもる吉野の奥に入りゆくと寒魚賣かんうをうりにつれだちてゐぬ

持山もすくなくなりし今年の冬は吉野の雪に寂しく入りゆく

 

 前川佐美雄「前月歌壇」

僕の歌を「稚氣」だとか「衒氣」だとか云つてゐる。かくいふ評を聞くのは僕らに興味がある。なぜ興味があるかと云ふに、行き詰つてしまってどうにも動きのとれぬ今のアララギの盲ら評だと思へばこそである。そこで土屋氏の口眞似をするのではないが、土屋氏の歌ぐらひは僕らの目から見れば路傍の雜草程にも考へてゐない。土屋氏程度の歌なれば廣い世間に數ふる暇なきほどあります。

 

『アララギ』1927年4月号

 土屋文明「前月歌界」

「心の花」三月號。前川佐美雄氏が、アララギ二月號に僕の書いた批評に對して威勢のいい反馭をして居る。つまり「前川氏の新しさは心の花としてである」といふ僕の批評が御氣に召さないらしい。けれど僕の批評を盲評とは少し威勢がよすぎる。(…)

今試に前川氏の歌十首をぬいて、それに近い齋藤島木兩氏の作をならべて見た。說明は必要があるまい。

 

『心の花』1927年4月号

 前川佐美雄「暗示」

四角なる室のすみずみの暗がりをおそるるやまひ丸き室をつくれ

丸き家三角の家など入り交るむちやくちやの世がいまに來るベし

 

この論争の顛末は、拙論「『春の日』との訣別―土屋文明と前川佐美雄の模倣論争に着目して」(『言語態』18号)に書いたので、つづきの気になった方はこちらを。

 

台風1号が近づいているというので、ついつい思い出した歌でした。

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