からっぽの車が並ぶ教習所 小さな坂に朝の日は照る

嶋稟太郎『羽と風鈴』(書肆侃侃房、2022年)

 

車の免許をもっていない。バイクにも乗れない。それでときどきの通勤に電車を使うのだが、地下鉄からJRの高架へあがるなだらかで長い長い坂の、やがて景色のひらけていくころに、車窓から自動車学校が見える。なんとなく視界にはいって、おもってきた場所だ。

 

運転の練習のためのミニチュアのまちには、交差点やすごいカーブが、コンパクトに配置されていて、じっさいのまちにはこんなにも〈ポイント〉は詰め込まれてはいないだろうそのまちを、しかし行くことのない、そしてよしんば行ったとして運転することのないだろう、というふたつのおもいで、とおくとおく憧れのまちのように眺める。

 

そこに、この「小さな坂」というのもある。坂道の練習のためだけにあるのだろう、のぼるとたちまちくだることになるその「小さな坂」が、朝の日に照らされている。まだ人の気配のない朝の時間である。教習車がきれいに並んで、そのいずれにもひとりのひとも乗っていない、しずかな世界がある。

 

練習のための坂は、この静謐のとき、いよいよ、ただ「坂」としてだけある。朝の日をうけて、その「坂」としての存在がそこに浮き立つごとく反映する時間である。うたはそれをささやかに差し出し、一首のなかにもひとの気配なきごときである。言祝ぎの一首ではないだろうか。

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