吉田隼人『忘却のための試論』書肆侃侃房,2015
名は体を表すと言うけれど、その諺でしっくり来る例を魚の他に知らない気がする。鰆。甘鯛。秋刀魚。鰯。目光。
美しい名のにんげんに出逢うと、「このひとは愛されて生まれて来たのね」と、貴い気持ちになる。わたしは自分の名の由来を知らない。
「のりちゃんの名前のなかには〝いのり〟が隠れている」と、大切な友人が教えてくれたから、今はこの名前をすごく気に入っている。
さて、この歌の作者の名の場合、「猛禽」というよりも勇猛敏捷な古代の民族を思い浮かべてしまうけれど、
ここで大切なのはただの布団ではなくて、「羽毛ぶとん」であるところなんだろう。
どうしても眠ることのできない夜に、鳥の名をもつ自分のかぶっているのが「羽毛ぶとん」であることへの気づき。
だから心強い、ということなのだろうか。あるいは「気が重い」ともいうから、眠ることのできない、どんよりとした気持ちが布団に沈むのか。
重い布団のほうがよく眠れるという話も聞いたことがある。
「眠られぬ夜」を過ごしている作中の主体は、ぎっしりと、おのれに近しい存在の重みを感じようとしている。
ふとにんげんの心の停止する瞬間を、言葉で以て迎えに行こうとする。
分身のような「隼」の、羽根がぎっしりと詰まった布団を想像する。
その、どこか哀しい、けれど淡いぬくもりを、わたしたちも感じられるような気がする。
語り手がそうやって、うつつの世界に言葉を手懐ける様子は、まるで「猛禽」を飼いならすようにも見える。