四ツ谷から東京までを眠りたり花咲く窓を後ろに置いて

𠮷野裕之『ざわめく卵』(砂子屋書房、2007年)

 

四ツ谷から東京まで、というじっさいの距離があるいは大事なのかもしれないが、それはともかく、ここでは電車に乗ってのごくみじかい移動というのを想像する。ロングシートの窓を背にしてひと眠り。春の眠りである。

 

花咲く窓を後ろに置いて、というのは車窓にうつる花々のことを言うのだが、それには見向きもしないで、や、せっかくの花よりも眠気のほうがまさって、など、この眠りにまつわる気分というのが漂って見える。

 

ここにわりあい意識ははっきりしていて、ある長い区間の四ツ谷から東京までをうっかり寝てしまった、というよりは、(多少のずれはあっても)四ツ谷で乗って東京で降りる、その間を、眠ろうとして眠った、という状況をおもう。それではなから「みじかい移動」というのが想像されたのかもしれない。

 

やはり下の句がいい。「後ろに置いて」というところにある能動的なものを感ずるし、花咲く窓というつづめた言い方にも魅力がある。わたしの眠りを、あるいは彩るように車窓の花々があるのだ。陶酔の感さえある。

 

眠たい春である。うたの引用は現代短歌文庫『𠮷野裕之歌集』(砂子屋書房、2022年)より。

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