知らぬ間に握つてゐたるレシートを伸ばせば三日前の、切手の

石川美南『体内飛行』短歌研究社,2020

 

自分でも気がつかぬ間に、ふとレシートを握っていた、ということはあり得るのだろうか、というのは、とても野暮な問いなのでしょう。

どこかで「現実と対になるもの」として物語を迎えようとする意識があるからこそ、常識的に考えてあり得る、あり得ない、で読みに対する彩度を欠いてしまうこともある。

でも、そういったものからひといきに自由になれることこそ、この詩型の美しさのひとつのはずだと思うのです。

 

さて、(レシートを握っていることに気がつかないほどの)心ここに在らずの状態、そこからふと「今」に立ち返ってきた作中主体。手には「三日前の、切手の」レシート。

この歌のスパイスはきっとこの「三日前の、」の「の、」で、ここで語り手が発話をいったん留めて、さらに短く情報を追加する。そして本来、説明されるべき何かが言いさしの形でわたしたちに提示される。

 

その仕草は、作中主体がその「切手」を購った理由をわたしたちに想像させる余地を上手く奪い去り、その分どこか謎めいた、タイムスリップものの短編を鑑賞しているかのようなほのかな緊張感を与えてくれます。

 

異世界から現実世界に戻ってきたとき、主人公が過去からの、或いは未来からの置き土産を手にしている、というのはひとつの典型として見かけるものですが、

ここではそれが「三日前の、切手の」くしゃくしゃのレシートで、それは誰かに何かを届けようとした形跡が、そのまま今の自分自身へと語りかけてくる、という仕掛けになっている。

そうして、それらの時空の歪みが相互に作用して創り出す不思議な世界線に、わたしたちはいとも簡単に足を踏み入れていることに気がつくのです。

 

 

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