パブロンでなんとかなると信じたい 春なのにダウン着てねむります

阿波野巧也『ビギナーズラック』(左右社、2020年)

 

パブロンは風邪薬。ねつっぽくて、たぶん風邪をひいたのだとおもうが、だからといって病院いくほどのことでもない。あるいは日曜で病院やってないとか。ともかくコンビニやドラッグストアで買えるような「パブロン」のんで、これで「なんとかなる」ことを祈るばかり。

 

なんとかなると「信じたい」という、いぶかしみながらも、これにかけるしかないよなという微妙な心理がある。それでパブロン飲んで、おとなしく寝ていよう、というわけ。

 

風邪をひいたときの、悪寒といったりするあの変に寒い感じ。「春なのにダウン着て」ねむるのは、その寒気のためだろう。ダウンジャケットかぶって布団にくるまる。その姿は、風邪をひいていない側のわたしには、どこかズレて見えて、おかしくもある。

 

ここで「春なのに」という意識はこのひとのなかにもあって、だから、そういう理屈を考えられるくらいにはそんなに深刻でもないのだが、でも、じゃあ冬だったら「ダウン着て」ねむるのかと言えば、これはひとによって「あるある」か、「ないない」か、意見が分かれそう。わたしは「あるある」です。

 

末尾の「ねむります」という敬体。集中いくらか見られる用法で、ここでは、観念して、おとなしくして、なんとか風邪をおさめようとするこころを映すよう。この突然のです・ます調にも、やはりあるおかしさ、かわゆさがまつわる。あるいはそれは、体よわったときの、虚勢はがれた姿であるかもしれない。

 

パブロン、なんとか、信じたい、ダウン、と「ん」をかさねてぜんたいを統べながら、上の句のきっちりした形が、春なのにダウン/着てねむります、と下の句で変化する。「春なのに」の声にだしてややいそぎあしになる感じ。たのしいながらもふわふわとして、風邪のときのあのぼんやりとした空気をおもいだす。

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