平田利栄『御幸橋まで』(本阿弥書店、2017年)
十年をひと昔と言うならば、ふた昔半まえのことである。いちどだけ五右衛門風呂にはいったことがある。こどもの面倒をみきれないということで、あちこちたらい回しにされて暮らしていたころ、山奥のしずかなところであった。はじめてのもので、おずおずはいったのを覚えている。
結局そこは一日でこわくなって逃げ出したのだが、以来、五右衛門風呂とのかかわりはそれきりになってしまった。その五右衛門風呂が、この歌集にはちょいちょい出てくる。どうも父母のあった郷里の家にあるようだ。掲出の一首も、この五右衛門風呂をうたったものであろう。
浴槽の底がちょくせつ釜になっていて、そのうえに底板敷いてはいる。薪をくべ、火をおこし、じょじょにぬくくなってくるのだが、「足裏をくすぐるやうに」という感触が、その様子を伝えている。下から熱がのぼってくるので、そのはじめにまず足裏があるのだ。そこに「薪の匂ひ」がくわわる。こんどは嗅覚が、五右衛門風呂を感じている。
湯殿は浴室、風呂場。薪のにおい、火のにおい煙のにおい、あるいはそこに湯気がこもって、それらを全身であじわうような一首である。今は亡き父母との時間を、あるいはおもいかえすようなひとときでもある。