白磁器にたまるうすら陽かなしがり方のしずかなひとに寄りゆく

中田明子「Ammonite」『砦』,2021.11

 

語り手には白いうつわに、うっすらと陽の光りがたまっているように見えている。

「寄りゆく」のがそのひかりなのか、作中の主体のとった行動なのか。

どちらも二句目の「うすら陽」を意味の切れ目ととって、それぞれの方向で読みが成立しうるものです。

 

とても魅力的な上の句の韻律から、下の句への接続の仕方に不思議な感覚を抱いたのは、きっとわたしだけではないでしょう。

「白磁器」「に」「うすら陽」「かなしがり」までのi音の連なりは、永田紅氏の名歌、

ああ君が遠いよ月夜下敷きを挟んだままのノート硬くて 永田紅『日輪』

を彷彿とさせられます。

 

「ああ君が」の歌がa音からo音の連なりへと変化させるとき、口のかたちが母を呼ぶ雛鳥のような、何かを強く希求するような発語を想像させるのに対し、

「白磁器に」の歌はi音の、口角を横に広げた、どこか微笑んでいるような気配さえ漂わせている。

この効果は、誰かのかなしみの様子を詠っているはずなのに、「白磁器」と「うすら陽」という、淡い色彩を抱くものたちを背景に、あたたかな読後感をわたしたちに与えてくれます。

 

最大の煌めきは「かなしみ方」ではなくて「かなしがり方」であるところで、この「方の」の句跨りによって、わたしたちのこころの眼は一気に「ひと」へと引き延ばされる。

「がる」は振る舞いを包括している表現で、そのひとの「かなしみ」の一部始終をまなざす、かみさまのような視点が歌の中に内包されているようで、

このまなざしが「陽」や〈私〉とともにその「人」に寄り添うようにも感じられて、どこかほっとするような、心に穏やかさを齎してくれる一首でした。

 

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