水の夢イチローの夢ひとしきか老いを知らねば夜半の虹たつ

水原紫苑『えぴすとれー』本阿弥書店,2017

 

びっくりして、もう一度読み返す。やっぱり、確かに「イチロー」と書いてある。

 

水の夢〇〇〇〇の夢ひとしきか老いを知らねば夜半の虹たつ

この「〇〇〇〇」に当てはまる固有名詞を、というような穴あけクイズが出題されたら、きっと誰も正解に辿り着けないのではないかしら、と思ってしまう。

 

それでも、「みず」と「いちろう」の、i音で始まってu音で終わるおさまりの良さもあって、語り手はまるで当たり前のようにすんなりと、その二つを並列させてわたしたちに差し出している。「水」と「イチロー」を「老い」で測る独特のものさしをたずさえて。

 

「水の夢」も「イチローの夢」も、それがいったいどんな内実をはらんでいるものなのか、混乱のさなかにいるわたしたちにはもはやわからない。

それなのに、きらきらと、スポットライトの当てられるようにまっすぐに煌めく彼らを、その夢同士をぴったりと重ね合わせて、語り手は「ひとしきか」と疑問を投げかけてくるものだから、立ち止まって考え込んでしまう。「夢」とは。「老い」とは。

 

「夜半の虹たつ」は月虹のことを指しているのでしょうか、幻想的な光景にはいつだって胸をうたれるし、それは古びたり、廃れたり、老いたりすることはない。この世がこの世である限り在り続けるものです。

迎えに行って読むと、その鮮やかな煌めきは「水」や「イチロー」の「夢」のきらきらの様子とも響き合うようにも感じられます。

 

加えて、水は無機物なので、本来は腐ることがない。そこに「イチロー」を提示して、「老い」という問題に焦点を当てるしぐさは、にんげんの有限性を強調されるようでもあって、なんだかすこしだけさみしく、だけどほのかに面映ゆい。

 

 

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