花山周子『林立』(本阿弥書店、2018年)
「正月明けに引っ越した」あとの二月の一連。母といた家を出て、その家で死んだうさぎのことをおもいかえしている。
死んだ白い/兎の毛ゆびに/つまみとる/私の部屋着の/カーディガンから
もってきた部屋着のカーディガンに、うさぎの毛の白いのがついて残っている。それをゆびにつまみとって、つづけておもうのである。
昨日たまたま部屋の電気のスイッチが四つも五つもかたまってある壁のひとところを見ていると、うっすら残って「お風呂」という手書きの文字があった。前に住んでいたひとだろう。そのひとのいた時間、そのひとの〈生〉が、たしかにここにあったことをおもいだす。
うたは「兎の毛(を)つまみとる」の助詞の省略に立ち止まった。「を」はあやしい助詞である。「を」があると、あらかじめそこに兎の毛があることをみとめて、あるいは知っていて、さらにそれを、つまみとろうとしてつまみとる、という意識やしぐさがはっきりでてしまう。
しかしじっさいはもっと、「見つける」「つまみとる」「兎の毛だとおもう」はいくらもまざりあっていて、その一瞬の、あ、という感じがここにはでているようだ。
と同時に、字余りのここは「ゆびに」でぐっと遅れをとりもどそうとするような加速があって、その指の動きとともに、兎のかつてまでもが力強く引き出だされる。兎とともにいた家のこと、そこにいた私、兎が白かったこと、着ていたカーディガンの、あるいは兎と私の距離、その感触をさらにも呼び込みながら。