隈智惠子『香椎潟』(本阿弥書店、2019年)
ちあきなおみ「喝采」に黒いふちどりの報せが来るが、このうたは「十七回忌」の法要の場面である。畳にすわる「うから」らに読経の声がながれ、そのあいを縫うようにしてひとひらの「黒き蝶」がゆく。しずかながら印象的な光景である。
歌集のなかでは、
黒き蝶ふと入りきてひらひらとひとの間を縫ひて去りたり
とルビがふってある。ふと、入り、ひらひら、ひと、あはひ、縫ひてが、蝶の動線のようにも聞こえる。
喪のひとびとと、「黒き蝶」のあいだにはなんのかかわりもない。だからこそ「ふと入りきて」なのだが、この一首はその蝶がひらひらとただようようにしてやがて去っていくまでをえがいて、ほんのひとときの光景を、ながくながく場面に残すようだ。
「縫ひて」というのはむろん比喩だが、それは記憶をひきつれてくるもの、その軌跡でもあるし、あるいは故人にまつわる数々の光景を綴じ合わせるものでもあろう。そこにつどった「うから」らを、あるいはいまいちどつなぎとめるものであるかもしれない。
はじめの場面にもどって閉じられる「喝采」のうたのように、黒き蝶去りたるのちにも、変わらぬ光景があり、時間が流れる。それなのにどこかで決定的に変わってしまった印象がまつわる。晩夏のねばりある日差しのなかに、いまはもう姿のない「黒き蝶」が、いつまでも眼前に残るようだ。