懸命に歩いて来たが最初から道が違うという夢なりし

大下一真『漆桶』(現代短歌社、2021年)

 

「あゆみ」のうたつながりでもう一首。こちらは夢で「歩い」た。かなしい話である。

 

懸命に歩いて来て、どこかでああ違った、と気づいたのだろう。「最初から道が違」っていたという。この道とおもって懸命に歩いて来たのに……。しかし夢でまだよかった。現実の努力にも、こういうことは少なくない。

 

自分なりに一生懸命やってみた。努力もした。たえてたえて、それでも結果にむすびつかない。行き着くべきところにたどりつかない。これも只中にあるときにはなかなか気づけない。そもそも「道が違」ったのだ、ということに。

 

だれかれに言われてすぐ道をもどったり変えたりできれば、いくらもよくなるが、簡単にはそうできないのも人というものだろう。これまでの「懸命」というのが邪魔をするし、「最初から道が違」った、ということが直ちには受け入れがたく、はずかしくもおもわれる。

 

うたは、夢でよかった、と安堵し、いくぶんコミカルにも読めるのだが、それでもやはり、どこか切ないものがこころに残る。懸命というこころの向け方、その危うさを言うようでもある。「夢なりき」ではなく連体形で「夢なりし」。この流し気味のところに、現実への回路がある。

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