夜の海 すこしあかるい黒が夜、暗くて濡れている黒が海

工藤玲音『水中で口笛』(左右社、2021年)

 

子どものころ、家から出て行けと言われて磯に一晩泊まったことがあった。そのときの夜の海の、昼とはまるでちがう表情をよくおぼえている。陸と海との境がなく、ぜんたいに真っ暗で、そのまま呑み込まれてしまいそうなおそろしさがあった。

 

「夜の海」という題の一連の、末尾の一首である。冒頭に〈左手に西瓜右手に紙煙草 真っ黒だけど海の写真だ〉といううたがあって、この「真っ黒」は写真にしてしまったためでもあるが、夜の海をまず端的に表している。

 

そのうえでこの一首は「すこしあかるい黒」と「暗くて濡れている黒」とを書き分ける。暗闇に目がなれてくると、夜空のあかりや、向こうに見えるまちのあかり、あるいは夜の空間全体がほのかに明いのがわかる。

 

いっぽうで、海はどこまでも暗い。水そのものをふつう濡れているとは言わないので、夜の海が、なにかひとつの黒い塊のようにおもわれてくる。その表面が、濡れていて暗く、底知れぬおそろしさがある。

 

黒い夜の海は、それがなにかを抱えもつのを、はっきりと見せつけてくる。

 

夕方からやってきて夜、星をながめながら寝ころぶ。一連は三人、四人、仲の良いひとたちとやってきている雰囲気だ。しかしこの遠くを見るようなまなざしは、いずれはばらばらになってしまう予感を多分に含んでいる。

 

「夜の海」、とまずみじかく大きく言って、それからふたつの黒を対比させ、「夜」と「海」とをもうすこしくわしく述べる。その「夜」と「海」とが綴じ合わさるようにして、ふたたび「夜の海」がたちあがる。思い出のなかで「真っ黒」になってしまうのを、ここにたしかに留めるような一首である。

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