逢坂みずき『虹を見つける達人』本の森,2020.07
この暑さにすっかりやり込められてしまった。身も心もばててしまい、どの歌も、どの言葉も、今は何ひとつこころに響かない。この歌を除いて。
なんてよい歌なんだろう。もう何も考えられない。時間の流れがひどくゆっくりに感じる、灼熱のバス停。背にくびすじにつたう汗。べたつく空気。
やっと到着したバスに乗り込んで、冷風を浴びた瞬間の……。
すべての句切れに感嘆符が置かれていて、これでもかと「幸せだ」というフレーズが目に焼き付きます。
けれど実際は、「幸せだ!」よりも「バスが涼しい!」のほうが1回多く発話されているので、この、焼き付く、というのは字面ではなく、
語り手の感情、そしてやっと「バス」に乗ることのできた作中主体の表情が、歌そのものに滲み出ているから、と言えるでしょうか。
わたしたちはこの歌を前に、それ以外の何も言うことができないし、感じることもできない。けれど、語り手の「!」に、ただただ烈しく共鳴する。
これは「バスが涼しくて幸せだ」ということしか言っていないし、感じられていないこの歌の〈私〉の様子とそのまま重なります。
そうやって、詠むうえでも読むうえでも、身も蓋も無さに身を浸す歌なのでしょう。