鯉幟でつくつたシャツを着てゆかう空の底なる夕べの酒肆へ

魚村晋太郎『銀耳』(砂子屋書房、2003年)

 

こいのぼりとめし、というと絹川柊佳『短歌になりたい』に

 

こいのぼりみたいに食べてこいのぼりみたいに吐いた中華食堂

 

という鮮烈な一首があるのをおもいだす。人間だって一本の筒だが、こいのぼりはいかにも一本の筒、筒そのものという感じがする。空に吹かれながら、その口おおきくあけて風をとおす。風を呑む。

 

掲出のうたは、ひとつにはその鯉幟のがらに注目している。空にかかげるようなサイズであるから、うろこおおきく、色彩濃い。輪郭明瞭。着ているひとがいたらギョッとしそうなシャツである。ひとが巨大な鯉に食われたような、あるいは鯉が立って歩いているような。そこのところが、まずうたに迫力をもたらしている。

 

それでゆくのは「夕べの酒肆」である。酒を飲むのだ。鯉幟と対置するような「空の底」である。風をまる呑みしていた鯉幟。その空の底にきて、おおいに食い、おおいに飲む。おおいに吐くかもしれぬ。どうだろう。

 

一首の暗さは歌集全体にとおるものだが、「着てゆかう」の奇妙な明るさが、ここではかえって不気味にもおもわれてくる。ある異様な光景が、それでいてどこか愉快に感じられる、と言ってもいい。夕べのあやしいころを、幻影のように鯉が酒場へ消えていく。下界をうろつく、とでもいうような背中をのこして。

 

うたの引用は新装版『銀耳』(砂子屋書房、2022年)から。

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