小原奈実「星ふるふ」『たべるのがおそい』vol.5,2018.04
目を瞠っても、瞑っても、うつくしいものがそこで光っている歌。
初句から二句目までの「ひとひらをひとひやしなふ」は、「一枚/一片を一日養う」の意と取りました。何かが、いっしんに注がれている様子。
さらに三句目の「陽光を」によって、光合成が可能である、という意味合いのうえで、養いの対象は植物であることを予感させます。
ひらがなに開かれたこの歌の世界は、三句目で陽が射し込まれることによって、柔らかくてあかるくて、あたたかいものに染まるのです。
一転、下の句のはじまりでは「瞑り」「おもふに」と、場面は昏くなる。そこでは目をつむって、何かをいっしんに考えている。
上の句までの開かれた世界とは次元の異なる、こころの奥深くに入り込んでゆく様子が描かれています。
そうして思い至るのが、結句「薔薇もまた星」。
発想の煌めきもさることながら、ここで詠われた「薔薇」の景とこの言葉そのものが、きらきらと耀き出します。語り手のこころのうちでも、読み手であるわたしたちの眼裏にも。
まるで、この歌の世界では昼と夜とが共存しているよう。
けれど、いわゆる〈二物衝突〉のような、位相の異なるもの同士でぶつかり合うような働きは見せず、寧ろ、それぞれの次元が共存するということを、美しい調べとともに差し出しています。
眼の閉ざすことによって表情をがらりと変える世界。それでも、その香りや煌めきは失われない、強度をもった世界。
そして、それは決して「幻想」などというものではないこと。
『文學界』22年5月号の特集を読みながら考えていたことを思い出していました。ほんのすこしだけ。このことに関しては、まだまだ、わたしは考えなければ。