谷口基『春愁の塊』(ながらみ書房、2015年)
たとえば駅前のタクシー乗り場。上屋のしたで傘をとじて、タクシーを待つ。ふと、そこにいるどの人もどの人も「左巻き」して傘を収めているのに気づく。言われてみれば、たしかに、なるほど、とおもう。
いま試しに玄関行って、傘を手にとってみた。傘の軸をつかむようにして外側から右手をそえ、左手で傘の手元を右に回転させるようにして巻くと、傘の襞が左へ左へ流れていく。これを「左巻き」と言うのだろう。
回転の向きというのは、どこから見るか、どの立場から言うかによっていくらも違うのだから、右とか左とかはこの際どうでもいい。「どの人も左巻き」という視点が大事。そうおもって見たことがなかった。
このうたはもうひとつ、そこから「北半球」を導きだしたところにおもしろさがある。ここにアサガオの蔓や、台風の雲の巻き方を連想される方もあろう。傘のあの形状が、アサガオの花のつぼみに似通うのも、この一首においてはことさら必然のようにおもわれる。
「北半球のタクシー乗り場」という大胆な下の句におもわず呑まれる。さて南半球の傘の場合はどうだろうか。そんなことをおもわせて、笑いをさそう一首である。