野ゆき山ゆき木苺を食ひ茅花つばなを食ひ嬉しかりしよ母の故里

 『空よ』酒井佑子

 野と山は、日本における地名の原景であるという。「今はむかし、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり」という『竹取物語』の冒頭や、『万葉集』の防人歌の「忘らむて野ゆき山ゆき我来れどわが父母は忘れせぬかも(四三四四)などに、その最も古い表現を見ることができるという。(『地名の原景』木村紀子)。

この歌では「野ゆき山ゆき」ながら、「木苺」や「茅花」を食べる「嬉し」さが端的にあらわれている。そうした木の実と草の穂を食べる嬉しさが、時間空間をさかのぼって、「母の故里」へ向かう嬉しさにまっすぐつながっている。むろんこの「母の故里」には、作者の母の故郷をこえた、いわば母郷という抽象的な意味合いがふくまれているだろう。それゆえに「野ゆき山ゆき」「母の故里」をもとめる道中が、古物語のような懐かしさを感じさせるのである。『空よ』は二〇二三年出版の遺歌集。

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