高橋淑子『うゐ』ながらみ書房,2005.04
夏のこと、夏への愛しさを詠っているはずなのに、静かで、涼やかさを抱いている。ふしぎな歌です。
「死なばまた夏にかへらむ」。
(こうも暑いと、その意志だけでもすごい、と思えてくるけれど、それは置いておいて、)気になったのは「また」と言っているところ。
もしかして一度、このひとは「かへ」ったことがあるのかしら。
あるいは、語り手は夏生まれである、ということを暗に示しているのでしょうか。
そしてその際、(夢幻の)作中の主体は「卓上に薄氷のごとき皿並べゐつ」という。
「たくじょう」と「はくひょう」で韻を踏んでいる調べは見事だし、
「うすらい」の場合は最後の「い」と、結句の「ゐつ」の、微笑みのような口調も素敵。
氷のようにうすくて透きとおった、美しいお皿を手に取り、コトンと置く。
卓に器の触れる音の響くたび、冷ややかな空気がこちらまで伝播してくるようです。
その涼やかさは死後の世界を予感させるもので、景を投じることで読み手の体感を左右させる。
爽やかさに通じるような「涼しさ」とはまた別の、ヒヤッとさせるような何か。
お盆の近いせいか、死にまつわる歌ばかりに目が行ってしまう。
あちらがわの世界では、きっと静かに、健やかに過ごすことが叶っているのでしょう、と、そう願うことでしか救われない気持ちもあったのだけど、
今日のこの歌を読んで、そんな願いこそ野暮なものなのかもしれない、という、柔らかい諦念のような気持ちを抱くことができたのでした。