棄てるのにちいさなレジ袋を買って棄てるまえにちいさくおりたたむ

安田茜「火の話」Webサイト「詩客」,2022年8月12日号

 

この歌を目にしたとき、ふと「〈生活〉といううすのろ」((c)穂村弘『もしもし、運命の人ですか』/佐野元春「情けない週末」)を思い出しました。

 

上の句、「棄てるのにちいさなレジ袋を買って」。

それまで無償で手に入った「レジ袋」は、2020年7月1日から有料化が始まり、わたしたちは対価を支払って入手するようになりました。

「棄てる」ために買う、その不毛さ、煩わしさは、歌の中で二度くりかえされるこの「棄てる」の語句によって、ゆるやかに指示されています。

 

けれど、この作中の主体は、「棄てるまえにちいさくおりたたむ」。

興味深いのは、語り手による穏やかな口調の「ちいさくおりたたむ」。

閉じる動作を表すためのことばの、漢字がひらかれているのです。

作中の主体による(おそらくは)ゆっくりとした動きは、ひらがなでの表記を活用することで軽やかに、やさしく表現されている。

 

さらに、この歌のなかでは「ちいさな」「ちいさく」と、実は二度、この「レジ袋」は小柄であること、そしておさまりのよい様子を形容されています。

けれど、そのどちらの際にも漢字はひらかれて、字面のうえでは決して小さく収まっているわけではないのです。

そうして結句、「ちいさくおりたたむ」の、まさにたたみかけるような語り口も、決して「ちいさくおりたた」まれたものではなく、この歌の心地よい調べとなって、歌の余韻として広がってゆきます。

 

レジ袋を「ちいさくおりたたむ」ことは、じつはけっこう丁寧さを要する作業で、そんなことをしてもしなくとも、〈生活〉は成り立ってしまう。

この歌は、そんな「〈生活〉といううすのろ」に対する、ささやかな、けれどかぎりなく優しい抵抗として、まさに、祈るような手つきで編まれた一首なのだろうと思いました。

 

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