花山多佳子『春疾風』(砂子屋書房、2002年)
いつもいく坂の、のぼっておりたそのおわりのところに、今年も咲いて百日紅がある。「うすももいろ」のこまかな花のあつまりが、雪の結晶のようにも精密で、あるいはかき氷食べたあとの舌のように鮮やかにも見える。
百日この紅がつづくというので百日紅と言い、またそのように書くらしい。紅濃いのから、「うすもも」のまで、さまざまある。白さるすべり、という白いのもある。夏のあいだを咲いている花だ。その木肌なめらかにして、猿もすべるというので「さるすべり」というわけだが、じっさいのところはどうであろう。鈴木ちはね『予言』(書肆侃侃房、2020年)に
さるすべり(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまうらしい)
という一首があるのをおもいだした。
今日のうたは、なんといっても三句の「は」。「すずしさを」と読めば、意味はすんなりとおるのだが、それではいかにも目的がはっきりしていていやらしい。わざわざその「すずしさ」を見にいったみたいになる。
「すずしさ」が見えて、それでもうひとつ近づいてみる。そのくらいの呼吸ではないだろうか。
花のやわらかな質感と石畳の硬質な感じはいかにも対照的だが、その「すずしさ」にはいくぶんかようところもある。ただひとつ漢字で書かれた「石畳」が、字余りとともに印象深く、その光景をながくこころに映すようだ。
うたの引用は現代短歌文庫『続々 花山多佳子歌集』(砂子屋書房、2017年)より。