笹公人『終楽章』短歌研究社,2022.08
まるで少年や少女のようなしぐさ。
けれど、感情がいっさい見えないところが不思議で、どこか不気味な感じすらする。
「しろがねのミニカプセル」は、ガシャポンのあの小さな球を思い浮かべました。
それもただのカプセルではなく、「しろがねの」。どことなくレアな感じが漂います。
そこ「に納めたる」なので、元にあった何かとは別のものをそこへ納めた、ということ。
作中の〈私〉にとって特別な何かであることを予感しつつ、そこで示されるのが「人生ゲームの棒に似た遺骨」。
最後に現れるこの「遺骨」によって、わたしたちの想像していた歌の世界はがらりと塗り替えられます。
「遺骨」を手にすることのできる存在というのは、とても限られている。
なので、作中の主体にとって近しいいきものの「遺骨」であると読みました。
そして、「人生ゲームの棒」とは、ゲームの内ではにんげんとして扱われているもののはず。
それをざっくりと「棒」と捉えるような意識のもとで、「遺骨」をまなざしている〈私〉。
けれど、身も蓋もないことをいうと、「遺骨」は「ミニカプセル」に納められているので、実際に〈私〉が視ているのは「しろがね」に光るカプセルだけのはず。
すると、語り手はまるで念力を用いるようなまなざしで、「遺骨」を透視している、ようにも見えてくる。
このとき、わたしたちが目にしているのは、はるか昔のことを思い出しているときのような遠い目をしている〈私〉。
つられるように、わたしたち自身も、それぞれの「遺骨」にまつわる思い出たちを見つめ直すことでしょう。
そうして、きっと〈私〉とそっくりの遠い目をしてしまう。