山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』(書肆侃侃房、2022年)
たとえば親が生活保護を受けようとして、子どもに「扶養照会」というのが届く。金銭的あるいは精神的に援助ができないかとか、親子のかかわりあいの状況はどうかとか、訊ねるようなものだったとおもう。
わたしの場合は「精神的援助」が具体的にはどういった内容を指すのか判然としないながらも、とりあえずそちらには丸をつけて返送したようにおもう。
ともかくその「扶養照会」が「届いた」ということは、どこかでたしかに「生きてる」わけだ。「生きてる」ということがわかった。
生きてると知らせてくれる/名も知らぬ市から届いた扶養照会
というふうに、二句で切って読んだ。
このうたの場合も、どこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのかわからない、そういう状況だったのだとおもう。それが「生きてる」とわかった。そのことを、いくぶん否定的に受け止めるような「くれる」「名も知らぬ」である。
否定的、とまではいかないにしても、すくなくともそれがわかってただちにうれしい、という感じではない。「生きてると知らせてくれる」のいささか大げさな感じ(それでいて、淡々と事実を述べている感じ)は、感情の複雑さを語っているようにもおもう。
ここで「名も知らぬ市から」、というところにうたの臨場感がある。もちろん知っているところに住んでいてもいいのだが、見たことも聞いたこともないような、そういう名前の市があるんだな、というところから届いたことが、かえって真実味を増しているようにおもう。劇的でない、リアルな現場がここにはある。