静かなる自嘲湧きたるこの夕べ酒一合のはや胃に沁みぬ

吉田直久『縄文の歌人』(現代短歌社、2022年)

 

「酒一合」であるから日本酒であろう。わたしにとってウイスキーは胸ひらく飲みものだが、たいして日本酒は、胃をひらく飲みものとおもう。胃にふれて、すなわち「沁み」てゆく酒を、ひとり飲む「夕べ」である。

 

「静かなる自嘲」鎮めんと飲む酒であろうか。夕べはやばやと一合を胃の腑におさめてしまった。おさめたというよりも、それはしぜんと胃から体全体に沁みわたる。あるいはじっさいに胃に沁みること以上に、「はや」とはこころがおもうことかもしれない。

 

酒飲むことは、けっして建設的なことではないし、当然なんのプラスにもならない。しかしどこか、こころを更地にしてくれるようなところがある。それを恃みたい「夕べ」もある。

 

このうたでわたしが惹かれるのは、結句の「はや胃に沁みぬ」のこまかに文節をきざんでゆくところである。その2・2・3の切れ目にこころをそのつど置きながら、あるいは息を継ぎながらかみしめるように読む。そこにじんわりとした余情がにじむ。

 

おもいだすのは斎藤茂吉『あらたま』の一首、

 

ゆふされば大根だいこんにふる時雨しぐれいたくさびしくりにけるかも

 

である。この「葉にふる時雨」にも、(句をまたがってではあるが、)おなじように2・2・3のリズムがある。ことばのかたまりが小さいために、かえってことばとことばのあいだには斥力がはたらくような、そのことによって一首に緩急をうむようなリズムである。

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