今井恵子『運ぶ眼、運ばれる眼』現代短歌社,2022.07
明るさと、それと釣り合うものとしての悲しさのような、不思議な雰囲気をたたえた歌。
ことばがきを多分に含むこの連作の背景は、歌集を読めば明らかにされているのですが、
ここでは「一首鑑賞」、ひとつの作品としてわたしたちはこの歌と向き合っています。
作中の〈私〉は海の近くにいて、誰かと対峙している。
ところが、それ以上のことは、歌の語り手は何も語らない。
ただ、歌のなかで、「あはは、あははは」と、異質な声色を以て笑い声を立てている。
実際に、この笑い声は語り手のものではなく、作中の〈私〉の対峙している誰かの声なのですが、
読み上げるわたしたちの鼓膜には、作中の〈私〉の耳に響いたであろう「あはは、あははは」という音が、いろいろな含みをもって届きはじめる。
そしてこの作中の〈私〉が語りかける対象は、〈私〉に対してなにも言葉を発しておらず、海のほうを目にして、屈託なく笑うだけ。
作中の〈私〉が体験した状況を、歌を読むわたしたちも追体験するような、不思議なつくりになっています。
「あははは、あはは」ではなく、「あはは、あははは」…と、笑い声がどんどん広がってゆくような調べが耳に残る。感情は見えない。
笑うしかない、というのは、明るい動作を伴ったほの悲しい仕草であることを、ふと思い出したのでした。