尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』(書肆侃侃房、2022年)
佐藤佐太郎『形影』(短歌研究社、1970年)に、
夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る
というよく知られた一首があって、今日のこのうたも、「ゆふぐれ」の「さくら」であるから、おのずと重ねつつ読んだ。下の句のつくりにも、かようところがある。
はるのゆふ/ぐれにしろじろ/揺れながら/さくらは白い/肢体をひらく
夕どきの光のなかに、総体としての「輝」を見る佐太郎のうたに対し、もうすこし時間のすすんだ、あるいは光とぼしい「夕暮れ」のころ、夜にさしかかりつつあるころの薄闇を、ここでは見ているようだ。
花ということばはない。しかし「はる」であるから花であろう。こまかな花のひとつひとつが「しろじろ」として揺れながら幽玄で、しかしここでもやはり、総体としてのさくらが下の句では捉えられている。
手足、からだを「ひらく」というところに妖艶がある。同時に、そこには「見られるもの」としての「さくら」の、ある種の痛ましさのようなものが表出している。佐太郎のうたの場合、「しだれ桜」であるから「垂る」という動詞になるわけだが、ここでの「ひらく」には、もうすこし、実態よりもどこか暗喩的な気分がこもるようだ。
初句から二句にかけての句またがりが低く重い声をうむのを読むと、下の句のさらさらとしてうつくしい韻律が、かえって、逃れようのない「流れ」のただなかにおのずから「肢体をひらく」、そのさくらの姿を映すようでもある。うつくしくまた、おそろしい一首である。