友人と撃ち合うようにお互いの写真を撮りて旅を終えたり

北辻󠄀一展『無限遠点』(青磁社、2021年)

 

「海辺の町」という一連にある一首で、友人と日帰りのささやかな「旅」に出ている。一連のさいごに「将来は友と異なるや」といううたがあって、それぞれの道へやがてわかれていくことを予感している。友との別れの兆しをふくんだ時間が、ここには流れている。

 

うたはやはり、「撃ち合うように」の直喩に立ち止まる。攻撃的というよりはむしろ、どこか「ごっこ遊び」的な親密さをおもわせる。いわゆる「自撮り」(自分撮り)ではなく、互いに互いを撮りあう。旅のおわりに一枚くらいは撮ろうということで、カメラを向けあうのだ。

 

慣れた仕草ではなく、どこかぎこちなさと照れくささのいりまじるような光景である。結句が「旅のいちにち」などであれば、旅のあいだ、はしゃぎながら、じゃれつくように写真を撮るような姿も想像できるが、ここではこの写真を撮ることが、「終えたり」を決定しているので、そうではないのである。

 

それでもこの「撃ち合うように」には遊びのきもちがあって、どこかで、じゃれあいのような心の向かい方をおもわせる。

 

ここで若山牧水『黒松』(改造社、1938年)から

 

ならび寝し床の五つのとりどりの友のことをおもふ端にいねつつ

 

の一首を並べてみる。こちらは旅先の宿の寝床である。たのしい一夜をすごして夜寝るときに、いっしょに並び寝る友のことをおもう。友恋とでもいうような雰囲気があって、あるいは今日の一首にも、その気分と通ずるところがあるようにおもう。

 

それは「旅」という時間がもたらすこころの揺らぎであり、恵みであるのかもしれない。

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