自転車は売り切れだつた4号線北へ北へと歩きしあの日

栗木京子『南の窓から』(ふらんす堂、2017年)

 

「短歌日記2016」ということで、このうたには「三月十一日(金)」の日付がある。さらに詞書ともいえる日記部分には、「東日本大震災から五年。あの日はJR横須賀線車中に二時間閉じ込められ、そのあと新橋から北千住まで三時間歩いて帰った。」と記されている。

 

震災から五年目、当時を振り返っての一首である。

 

うたはまず、「自転車は売り切れだつた」につかまれる。ものというのはふだん、いくらでもあってあふれているようにおもうけれども、台風のまえに袋麺が売り切れたり、この疫禍のはじまりの頃に、どこからもマスクが消えてしまったりしたように、いつでも目の前からなくなりうるものなのだ。

 

それにしても、「自転車」って、ちょっとコンビニで買って帰る、というようなものではないのだから、それがたちまち売り切れる、というその異常さに、今読んでも少しぎょっとする。それだけ大きなことが起きたのだと、あらためておもわされる。

 

「4号線」というのは国道だろう。その数の小ささが、いかにも大きな道をおもわせるし、「北へ北へ」という感覚には、はるかなる、遠い遠い道のりがあらわれるようだ。いつもとはちがう、もっと野性的な帰路と言ったらよいか。

 

どこの駅から乗って降りて、という把握が通用しないなかで、どうにか家にたどりつこうという、そういうこころの向きがある。

 

同時に、それは世界のなかに、急に自分がちいさくなってしまったような感触をもたらす。あのときの、ある種の心細さが、それゆえに心をおおきくしてしまうような、そのちぐはぐな感じがリアルな一首とおもう。

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