淀川の縁にて食める焼きそばのああかつおぶしが飛んでいくがな

江戸雪『昼の夢の終わり』(書肆侃侃房、2015年)

 

「おそい歌」というと、今まっさきにおもいだすのは花山周子『林立』(本阿弥書店、2018年)の

 

蚊取り線香にふらふらとして落ちにける蚊を寝ながらにわれは見ている

 

の一首である。ふだんの蚊の動きって、こんなにはおそくないとおもうのだが、蚊取り線香にやられて「ふらふら」となった蚊ならば、あるいはこういう速度になるのかもしれない。このスローモーションのごとき映像は、「落ちにける」という音数をつかった表現を経由するためでもあるが、あるユーモアさえ含みもつようである。

 

さて、今日の一首。このうたも、わたしには「おそい」と感じられた。

 

詞書に「風の強い日。」とある。大阪のおおきな川である。風に吹かれて、焼きそばのうえのかつおぶしが飛んでいく。たちまちだろう。あっ、という一瞬である。それが下の句全体をつかって引き伸ばされる。「おそい」なあ、とおもう。そしてそこが面白い。

 

「ああかつおぶしが飛んでいくがな」、というしぜんな口調がなんとも言えず、その面白さに拍車をかける。しゃべりことばこそ、もっと速いはずだからである。象徴的な一瞬が、だからこそゆっくり再生される。交通事故などで、あっ死ぬ、というとき風景がおそくなる、というのを聞く。あのイメージ。

 

かつおぶし飛んで、驚く、慌てるのではなく、詠嘆になびく。

 

定型のうながす速度と、そこにあてられたことばの速度とのズレが、きわめて映像的な迫力をもたらす一首である。

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