彼らは夏を逝きたり若き日の写真の顔をこの世に遺し

糸川雅子『ひかりの伽藍』(ながらみ書房、2022年)

 

このうたのまえに、

 

死刑囚の壮年の貌知らされず処刑されたり 平成の夏

平成のうちの執行定められ 状況なれば 逝かねばならず

 

という2首が並んでいて、ここでも「彼ら」とは、この「死刑囚」のことだとおもう。

 

死刑が確定してすなわち執行されるわけではないのだから、それなりの年月が経っている。確定するまでを含めれば、もっと長い。その間、刑事施設で過ごすわけで、その長さはそれぞれだが、長くなれば、写真を撮られないまま年をとることになる。「若き日の写真の顔」だけが、人々の印象に残りつづけるのだ。

 

やはり「壮年の貌知らされず」「若き日の写真の顔をこの世に遺し」に立ち止まる。言われてみれば、とおもう。報道などでその顔を繰り返し目にしながら、時が止まったかのように、その顔はずっと「若き日」のままである。そこに死刑制度のひとつの側面が反映するようだ。

 

平成がおわったのは2019年4月30日である。最後の夏、ということになれば2018年の夏である。オウム真理教事件の13人の死刑が執行された。見慣れたその顔を見るとき、わたしは考えるのをやめることができる。

 

彼らは/夏を逝きたり/若き日の/写真の顔を/この世に遺し

 

初句「彼らは」の4音のあとに、みじかく、しかしながい空白がある。おもいを複雑にしながら、そこに問いをのこすような一首である。

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