toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房,2022.02
この歌の優しさに対して、すっごく不謹慎な物言いになってしまってごめんなさい。
第一印象、香ばしくて美味しそうな歌だと思ってしまいました。
「清秋の候」という手紙の書き出しにあるように、秋は空のうんと澄んでいる季節。
その「秋の空」へと、語り手は「ゆっくりでいいから」と優しく、そして「迷わず」「おかえり」と、「いわし、さば、ひつじ」といった面々に声をかけています。
そのどれもが、雲の名称としてあげられるものたち。そして同時に、にんげんの好んで捕食するものたちでもあります。
いわし雲、さば雲は巻積雲の一種で、白色で陰影のない小さな雲片が群れをなし、魚の鱗のような形状をした雲のこと。
そしてひつじ雲は高積雲の一種で、小さな塊状の雲片が、斑に帯状の形をつくり、巻積雲よりはもくもくとした印象を残す陰影をもつ雲のこと。
たとえば動物の飼い主たちが、その生き物の目を瞑ったことを暗に示す表現として、「虹の橋を渡る」や「お空に帰る」があることを、昨今のSNSを眺めながら知ったのですが、
つまるところこの語り手は、「いわし、さば、ひつじ」たちの肉体の滅び、天に召されるまでの道筋を、わたしたちにも「いわし、さば、ひつじ」にも見える言い方で指し示しているようです。
目の前には調理されたそれらのお皿が在り、堪能している作中の主体がいる。
その光景を目の当たりにしながら、もしくは思い浮かべながら、どこか神の視点で「空へおかえり」と呼びかける語り手。
香ばしく焼き上げられた「いわし、さば、ひつじ」たちの肉体は、澄んで青く、もしくは夕焼けに漂う〈雲〉となることで、成仏の形を補完する。
焼き上げられてゆく、その間に立ち上る煙が、そのままもくもくと空へとのぼってゆくような景も彷彿とさせられます。
ひらがなの多用によって、一見、まろやかで優しく、穏やかな口調で亡きものたちに語りかける語り手が、
この歌の中でもっとも笑顔でいるように見えるのが、どこかせつなく、どうしようもなく遣る瀬無い気持ちにもなる。
一筋縄ではいかぬ哀愁のただよう一首だと感嘆しました。