眼閉じればルクセンブルク雪しまく空港のタラップ共に降りし夜

栗明純生『はるかな日々』(六花書林、2022年)

 

「さめた眼差」という一連は、ある訃報からはじまる。亡くなってしまったそのひととの時間を振り返りながら、この一首には「一九八九年一月 欧州出張に随伴」という詞書がつく。

 

眼は「まなこ」、うたは二句切れで読んだ。「眼閉じればルクセンブルク」の七・七がここちよく、ある陶酔さえ呼び起こす。(眼を「め」と読むならば、もう少し冷静なすがたが浮かんでこよう。)雪しまく、すなわち雪吹き荒れる、その空港の光景がよみがえる。

 

あれは夜だった。空港に着いて、飛行機からタラップ踏んで地に降り立つ。その一場面がことに印象的で、今、ふとおもいかえすときに眼裏に映る。「共に」というところに、おのずからなるおもいがかよう。

 

ルクセンブル、雪しまの脚韻が、二句切れのあとをなめらかに連絡しながら、劇的なほうへかたむきすぎないよう抑制している。鮮やかなおもいでのなかに、しかししずかに故人を悼む、またそこにおもいを添える、しんとしながら熱い一首である。

 

半世紀まえ眼とがらせ入社せしわれを迎えきクールな笑顔に

 

という一首もある。仕事において付き合いをつづけてきたひとなのだ。連作には「猛者黙らせき」「徹夜徹夜」「大仕事」の文字が並ぶ。厳しいときにも大きく構えたそのひとのそばにあったからこそ、咄嗟にうかんだのは「雪しまく」その光景であったのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です