あまたなる手のひらの熱まだあらんあん馬へしろく月の差すころ

河合育子『春の質量』(短歌研究社、2022年)

 

器械体操の「あん馬」(鞍馬)である。四首一連の末尾の一首で、テレビ中継で見たか現地で見たか、一日がおわってしんとした会場に、その余熱のこせる「あん馬」をおもいみる。

 

あん馬という題材だけでもいくぶん珍しく読んだが、演技のさなかではなく、その後の光景をうたったところに立ち止まった。こういうズラしは短歌的と言われるかもしれないが、一連のなかにあっては、むしろ一歩踏み込んだうたのように映る。

 

たくさんのひとが、手のひらをおき、またその演技に熱いまなざしをおくった。

 

その力のこもったいくつもの「手のひらの熱」がうち重なり、それゆえ、まだそこに残っているであろうとうたは想像する。選手も観客もいない夜の時間である。

 

この「しろく月の差す」はいくぶん象徴の世界をおもわせる。スポットライトのように月の光がふりそそぎ、つめたくなっていく時間と、そこに添う孤独を、浮かびあがらせる。

 

「あらん」から「あん馬」への弾むような韻律が、一首のバネとなってうた世界を空間的なものにしている。「あん馬」はしみじみ一日をおもいかえすだろうか。呼応して「あん馬」みずから熱をもつような、しずかな時間がつづいてやまない。

 

昼はもちろん、夜になればなおさら、あん馬そのものへは、視線は集まらない。そのあん馬へこころを遣るような一首である。

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