スパゲッティミートソースを選びたり平凡は時に新鮮である

石井幸子『川端通り』(短歌研究社、2022年)

 

「一周回って」という表現があるが、「平凡は時に新鮮である」のこころは、それに近いかもしれない。平凡をはなれてばかりいると、かえってその平凡が非凡になる。

 

スパゲッティ(パスタ)を食べるとして、ミートソースはまことに平凡である。わたしにとってはナポリタンも同じくらい平凡。つい、わざわざここで食べなくても……とおもってしまう。いつでもどこでも食べられるのだから、今食べなくても、とおもってしまうのだ。

 

しかしそうして選択肢から外しているうちに、もう何年もスパゲッティミートソースを食べていない気がする。そういうとき、あえて選んでみる。このうたでも、「を」「選びたり」であるから、たまたま食べたのではない。

 

するとどうだろう。知っている味のはずで、珍しいものでもなんでもないはずが、なんとも新鮮に感じられる。ああ、おいしい。こんな味だったんだ。

 

ときに、「たまにはいいけどね」という条件つきではなく、心底おいしいとおもったりもする。

 

うたは、上の句と下の句の情報量の差に惹かれる。「平凡は時に新鮮である」の真顔が、おかしみを伴いながら、しかしそれゆえ真に迫ってひびく。橋本喜典『聖木立』に、

 

コーヒーを飲みながらする無駄話それは豊かな平凡だつた

 

という一首がある。その只中にあるときには気づくことのできない、「平凡」のなかにある非凡を、あるいは平凡こそが非凡であるということを、「一周回って」おもうのである。失ってはじめてわかる「平凡」がある。

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