革命といふ言葉 わが魂は默し眞晝の海は和ぐとも

石井辰彦『墓』七月堂,1989.10

引用は『石井辰彦歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房)から

 

熱湯と冷水を一気に浴びたかのような、不思議な速度をもつ一首。

 

「革命といふ言葉」という言葉。

いま一度じっくりと向き直ってみると、まさしく「命」を「あらたまる」ものとして、その字がそこに置かれているかのようにうつります。

 

つぎに接続されるのが「わが魂は」ですが、ここで気になるのは「言葉 わが」と、一字空けを以て二句目が奇妙に分かたれていていること。

さらにそこで、作中の主体の「わが魂」は「默し」、その代わりに語り手が、わたしたちの眼前に「眞晝の海」を差し出しています。

 

そして結句でとうとつに広げられる、「」いだ海。

それも単純に凪いでいるのではなく、ここで選ばれているのは「和」の字。

こころなどにかかることの多いこの字の選ばれていることからも、この「海」は不思議と「わが魂」に近しい存在であるかのようです。

 

「わが魂」→「默し」→「眞晝の海」→「和ぐ」と展開されることで、最初から静なるものがそこにあるわけではなく、語り手によって鎮められているかのような錯覚をおぼえます。

 

じつはこの歌には「命」と「魂」が共存していて、しかし片方はあらたまるものとして、けもののにおいをまといつつ、

もう一方は「眞晝の海」と調和するかのような、澄んだ気配を漂わせつつ。

「革命といふ言葉」をいう語り手の、そしてその言葉を目で追うわたしたちのこころのうちには、ひとびとの烈しい呼気や情動が迫りくる。

けれど、二句目の句またがりを経由することで、明らかな転調と、場の転換が巻き起こる。

そして、語り手は静けさをも呼び起こすのです。

 

 

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