こころはあおい監獄なのに来てくれた かすかな足音を積もらせて

小林朗人「しかし薄氷の上で」『率』8号,2015.05

 

どこか雪のしずかに降り積もるようすを彷彿とさせられる一首。そのような言葉はひとつも発していないというのに。

 

「こころはあおい監獄なのに来てくれた」。

「こころ」で起こるなにがしかを、べつのものに喩える、ということは、わたしたちはしばしば目にすることがありますが、

「こころ」そのものを、そのうえ「あおい監獄」という喩を用いて表現されているところに、思わず一瞬立ち止まってしまう。

 

それは「あお」く、うつくしい、ということなのか。

「あおい」は色彩なのか、あるいは若さのたとえなのか。

いずれにせよ、「監獄」という、かんたんには接することのできない世界線にまで誰かが「来てくれた」のだと、語り手はわたしたちにその感動を語りかけます。

 

けれど、一字空けののちの「かすかな足音を積もらせて」に至っても、その「来てくれた」動作の主体が明かされぬまま。

どの言葉を掬ってたとして、わからないことばかりなのに、なぜか、ほのかなやさしさだけが余韻として残っている。

 

連作のタイトル「しかし薄氷の上で」と相まって、誰かの「足音」が雪の降るように、しずかに、優しくほのあかるく、この歌と作中の主体を照らすよう。

けれどその正体のはっきりとわからない。巧みで、とても不思議なうたです。

 

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