夕映えがすべてを包む 名を失くし原寸大の地球で暮らす

永井亘(N/W)「他人の鳥」TOM 2018.01.08更新分

 

あてはめられているはずなのに、のびのびとしている。なんとも不思議な一首。

 

「夕映えがすべてを包む」。

この頃は、夕刻の陽ざしの強さに思わず目を細めたり、眩しさに手をかざしたりすることの増えてきましたが、

この、ひかりにまみれて何も見えない、という状態に置かれている作中の〈私〉と、その様子をまなざす語り手。

 

一字空け、そののちの三句目によって「名を失」うのは、さきの「夕映え」に染まる、すべてのものたちのことを指示しているようでもある。

 

そして下の句、「原寸大の地球で暮らす」。

とつぜん広げられる天体のイメージは、さきの「夕映え」の光景と調和することで、視点が一気に遠く、大きなものに移り変わる。

 

「原寸大」という言葉は、博物館などでよく目にする表現かとおもうのですが、

この下の句に至ったとき、上の句の「夕映えがすべてを包む」様子が、作中の主体の身を置いている一点のみならず、

この惑星のかたがわを照らし、ひかりを浴びて「名を失く」す〈私〉たちの姿まで思い浮かぶよう。

 

スケールの大きさに驚きながら、しかし、その「スケール」のものさしは何処から生まれて来たものだったのだろう…

と、「地球で暮らす」わたしたちそれぞれに省みるきっかけを与えてくれる、滞空時間の長い一首でもあります。

それが冒頭の「のびのび」とした印象の根拠でしょうか。不思議だ。

 

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