服部真里子『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房、2018年)
これは自分で切っているのか、誰かに切られているのか。主語は「鋏」だから、その手元は映らない。前髪と、そこにあてられた鋏の刃の、ふたつ交わるところだけが、大きく映し出されている。
切ることそのものもそうだが、切り「そろえる」ことにも、しんとした静けさがある。それはあるいは、前髪の下がる向きに対して垂直に鋏をさしいれる、その関係にもあてはまるし、また、鋏そのものの質感に対しても言えることだろう。
それらがおのずから、「雪の気配」を引き寄せる。静かでつめたい光景。ああ、これは雪になるな、というときのさきぶれのような空気が、ここにもただよう。
すがすがしいような、視界がひらけてゆくような、また妙にあかるくなるような、そんなささやかな世界の広がりをおもわせる。そのときの、ふっとこころの薄くなるような、そのゆらぎ、広がりに、なつかしさが滑り込むのかもしれない。
前髪を/しんと切りそろ/える鋏/なつかしいこれは/雪の気配だ
三句で切れて、「雪の気配だ」ととらえなおすまえの隙間に、すっとさしはさまれた「なつかしい」という直感。それを足がかりにするようにして、たぐりよせられる「雪の気配」その場面。ふたつの場面がここに交錯するのを、ふたつのものへ隔てていく鋏が仲立ちしている。
先日、雪が降った。風がつよく吹き、つぶの大きな雪が叩きつけるように降った。視界はぼんやりとしながら明るく、ぼんぼりのなかにいるように、身体をとざした。そのはじまりに、あ、という瞬間があったような、あれが「雪の気配」なのだろう。
そのときのある種の感覚の冴えを、一首の口調が絶妙にとらえているようにおもう。