疲れると小銭が増えるお財布が奥底にある通勤かばん

橋場悦子『静電気』(本阿弥書店、2020年)

 

キャッシュレスというものがずいぶん普及した世にあっては、いくぶん古めかしくも映る今日の一首である。小銭でぱんぱんの「お財布」。疲れると、どうしてもレジで、券売機で、こまかな小銭のやりくりを怠ってしまう。

 

260円の切符を千円札で。青高菜のおにぎりとコーヒー297円を千円札で。疲れているときはことに、いろいろ考えず、えいっ、と千円札を、一万円札を出してしまう。それでお財布に、じゃらじゃらと小銭がたまってしまうというわけ。

 

260円を310円で、297円を302円で、とかはやりすぎにしても、少しずつ小銭を組み合わせて使っていけば、おのずと小銭は減っていくのである。けれどもそういうところまで気をまわす余裕がない。

 

あたかも「疲れ」を可視化、物質化するように増えていく「小銭」、その重みがずしりとひびく。

 

しかしこの「お財布」、通勤かばんの奥底にあるというのだから、このごろはあんまり使われていないのだろうか。どうも、そうとはおもえない。小銭の重みで、おのずから沈んでいってしまったのだ。

 

そのお財布を、ごそごそと奥底から取り出して切符を買う。奥底に沈む。お昼のおにぎりを買う。コーヒーを買う。また奥底に沈む。

 

体にたまった疲労のように、その小銭の重たさがかばんを占めて、不健康なものにしていくようだ。あるいはそれはいかりのように、わたしをこの疲れのただなかにひきとめて離さない。

 

今日でこの年もおしまいである。だからなんだというのでもないが、一年の小銭をすっかりおろして、のんびり、ごろごろしたいものである。あるいはじゃらじゃらとたまる小銭のように、ささやかにも佳きことのふりつもる一年でありますように。

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