細長く夜の空気を吸い込んで雪降る前のにおいをさがす

黒﨑聡美『つららと雉』六花書林,2018年

 

冬だな、と思う。

しんと寒くて、たぶん氷点下になりそうな気温で、あまり強い風は吹いていない、そんな冬の夜を想像する。
凛とした冷たい空気を吸い込むと口腔が冷え、喉が冷える。だけれども臓腑までは冷やすことができない。冬の夜という空間の中で、防寒具に包まれて厚着をした自分の体温が異物のような気がして、息を吸う。少しでも自分の中に冬の夜を取り入れるために、細く長く吸う。
「細長く」という修飾は、下句の「雪降る前のにおい」という繊細なものを感知する描写に向けた助走だとは思うのだけど、まずは冬の夜に取り囲まれた主体の行動の形容として、妙に納得感がある。

雪にはにおいがある。どんなにおいかと問われると説明が難しいのだけれど、雪が積もった朝などにはつんと冷たく尖った感じを鼻腔に感じることがある。雪が降る前の気配にも、その予兆のようなものは存在するように思う。
主体の思いをひらたく言うと、(雪降るかなあ)だとか(雪降ればいいなあ)のようなものだと思うのだけど、そこで「雪降る前のにおい」が持ち出されると、雪に慣れた主体像が立ち上がる。
それは、『つららと雉』という歌集題とも響き合う。

 

冴えた夜に雪の気配はしないままメタセコイアときみは呟く

 

掲出した歌が収められている「メタセコイア」という連作からもう一首引く。眼前にはあなたがいて、メタセコイアの木があるのだろう。メタセコイアは雪化粧が似合う。雪の気配はしないのだけれど、メタセコイアとつぶやくきみの声を聞きながら、どこかで雪を希求しているような印象がある。

 

手にふれるそばから雪は過去となり晩年に雪、雪は降るのか

かんたんに雪道の道消していた北風よ今わたしに吹けよ

雪降らないのは楽でいいですと言うたびに記憶のなかの吹雪強まる

 

同歌集で印象に残る雪の歌。一首一首に主体と雪との距離がきちんと規定されているのを感じる。雪という気象が深いところで作者の中に降り、そして積もっている。歌集中で雪の歌に出会うたびに、そんなことを思うのだ。

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