人事などもわもわとして春の夜のサッポロ一番やはり塩あぢ

野田かおり『風を待つ日の』青磁社,2021年

年度区切りの仕事をしていると三月はどうしても浮き足だつ。異動するかもしれないと思うと新しいことは始めにくいし、自分の業務中のマイルールの束は後任が理解できるようにほぐさなければならん、と思ったりするのだけど、異動が確定しているわけではないので、あまり動く気が起きない。

初句二句からは、年度末のそんな雰囲気を想起する。〈もやもや〉なら決まった人事に対する不満を意味するだろうが、掲出歌は「もわもわ」。どこか定まりがつかない感じがして、人事異動の直前という状況を思い浮かべる。それは自分の心情であり、職場の状況でもあろう。自分の処遇はもちろん、(〇〇さんは長いから異動かな)とか(□□さんが管理職になったら嫌だな)とか、根拠のあるようでない予想や希望が職場に漂っていて、「もわもわ」している感じがある。
三句目で「春の夜の」と場面が提示される。「春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ」(前川佐美雄『大和』)なんかが思い出されて、「もわもわ」と「春」は距離が近い感じがする。また、これによって年度末の3月頃であることが、ある程度はっきりと明示される。そのもわもわとした春の夜の雰囲気は下句でサッポロ一番に接続される。

サッポロ一番はサンヨー食品が製造している即席袋麺。塩、醤油、みそなど味にバリエーションがあるが、どの味が一番好きかで議論になることがある。基本的にはみそか塩かで争われる印象だ。
一首は、「やはり」の挿入によって、〈サッポロ一番何味がいいか論争〉を軽く引き受ける。主体の答えは「塩あぢ」だ。唐突にそう思った可能性もあるし、スーパーの棚の前の可能性もあるけど、なんとなく夕食にサッポロ一番の塩味を食べているように思う。上句の「もわもわ」が、どんぶり鉢から立ち上がる湯気と重なっていく。〈塩味〉ではなく、旧仮名遣いで「塩あぢ」とすることで、塩味を選ぶこの判断が、あくまでも主体の意見であることがにじむ。こっくりとした味噌よりも、あっさりとした塩の方が、なんとなく春と距離が近いような気もする。

「もわもわ」としているのは昼の職場。その「もわもわ」の源泉である人事は、自分ではどうすることもできない。夜の食卓で主体は自分の選択としてサッポロ一番を食べ、「やはり塩あぢ」だなと思う。そこには対比があり、夜の食卓にはある種の安堵感も漂っている気がする。

夜が明ければまた職場へ行かねばならない。その助走として、「塩あぢ」のサッポロ一番を選び取ることは、主体にとっては大切なことである、ような気がするのだ。

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