三月の君の手を引き歩きたし右手にガーベラ握らせながら

立花開『ひかりを渡る舟』角川文化振興財団,2021年

暖かくなり、世界がだんだんと春になっていく、そんな三月に君の手を握って歩きたいと主体は思う。一首は実景ではなく主体の願望だが、明るいひかりの中を歩くふたりが像を結ぶ。

〈三月に〉ではなくて、「三月の」となっていて、早春を意味するであろう季節は「君」を修飾している。〈三月に〉の場合は時期の指定。その場合はなんとなく実現可能性が高そうで、現実感がある。一方で、「三月の君」となると少しだけ抽象度が上がり、現実感がいくらか薄れ、「歩きたし」という願望と詩的に響き合う。

下句では、「三月の君」の右手にガーベラを握らせたいという。ガーベラはその色によって花言葉が異なるが、みなポジティブなもの。「君」が右手にガーベラを持っているということは、主体が引く手は左手なのだろう。「三月の君」という措辞には文字通りの季節の指定という意味以上に、これから春のピークを迎えていくというような希望を感じる。その希望は、「君」と主体の関係にもいくらかにじむ。

一首が描くのは想像上の景だ。想像上の景だからこそ、それはどこまでも明るくなり得る。春はこれから闌けてゆく。結ぶ像は明るい神話の一場面のように美しく、一方で現実感が薄れてゆく。
可能な限り明るく、テンションを高めた措辞のなかで、「たし」という希望を表す助動詞だけが主体の声として響く。「君」の両手は、主体の手とガーベラによってふさがっている。一首は「ダフニスとクロエ」のような青春性に満ちていて、まばゆいばかりに明るい。しかし、その張りつめた明るさゆえにか、その裏側に存在するであろう現実の気配が感じられる。

まばゆい三月の光の中で、短歌定型に落とし込むための文語助動詞「たし」が、重しのように、一首の裏面にある現実を支えているような気がするのだ。

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