生きるとはその身のうちに洞穴を抱へることか倒れし楡よ

千葉優作『あるはなく』青磁社,2022年

眼前には楡の倒木がある。倒木はその幹の断面を晒していて、その断面には穴が空いていて、楡の内部は一部が空洞化しているのが見える。どうにか屹立していた楡の老木が耐えきれずに倒れている。山林においてはいかにもありそうな景だ。
作者はその景を見逃さない。見逃さない、というのはあまり正確ではなくて、ここではその倒れた楡に、その楡が抱えている空洞に対して、ぐっと踏み込んで心を寄せている。
四句目までは箴言のようだ。「生きるとはその身のうちに洞穴を抱へること」というのは、フレーズとして強い。その強さゆえの納得感があって、生きていくうちに失っていくものや、忙しない日々の中ですり減らしてゆくものを思う。洞穴を抱えずに生きているようにみえる人もいるだろうが、主体は洞穴とでもいうべきもの抱えている。〈空洞〉ではなく「洞穴」という語が選ばれていて、その内部は暗く、どれほど深いのか見当がつかない。
結句では唐突に、楡の倒木が現れる。四句目までの箴言は眼前の楡から導き出されたのかと、少し驚く。ある程度の樹齢を重ねた楡。その幹には穴があり、その空洞は楡が時間を重ねてきた証であり、時間を重ねる中で負った苦しみのようにも感じられるだろう。もしかしたら、主体は楡の空洞を見ることによって、心に抱えているものは「洞穴」であると言語化できたのかも知れない。語り口調の結句からは、楡との交感を感じ、そこはかとなく同志感が漂う。楡の時間を作者は引き受け、人生という難事に重ねていくのだ。

ミスコピーされた資料を縦に裂き羽化しなかつたなにかをおもふ
ハンガーは何も言はずに吊るされてかくも静かな労働がある

ミスコピーやハンガーが主体の心情と重なってゆく。使われることのないミスコピーされた紙を裂き、羽化しなかったものを思う。羽化しなかかった何かと主体の境涯が交差する。
吊るされたハンガーから労働を想起する。静かな労働はハンガーの「労働」と適合するし、主体のかならずしも静かではないであろう労働も照射する。また、吊るすという動詞に人間味を感じてしまい、それが嫌な感じで労働と重なってゆく。

ほろびゆくものや、朽ちてゆくものに対して作者は深く踏み込む。あるいは強く引き寄せる。それを修辞の力で立ち上がらせる時に、一首は確かに詩として屹立するような気がするのだ。

死を孕みつつ朝顔の花ひらきジャニスのこゑが聴きたくなつた

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です