恋文もやさしく開けむ崩さずにおぼろ豆腐を箸に喰ふひと

太田宣子「うたの日,歌題「文」,2014.7.23」

目の前には箸で器用におぼろ豆腐を食べる人がいる。崩すことなく箸でおぼろ豆腐を食べる様子をみていると、(あ、このひとは恋文をやさしく開けるひとなんだろうな)と思われたのだろう。
恋文を開けるという動作と、おぼろ豆腐を箸で食べるという動作には随分と距離があるように思う。だけれども、不思議と唐突な感じはあまりしなくて、(確かに、なんかそんな気がするな)と思ってしまう。

一首には美しい統一感がある。「恋文」、「おぼろ豆腐」という道具立ては、文語旧仮名の文体にフィットしている。「恋文」がどれほどリアリティのあるアイテムかはわからないけど、一首における主体の想像として、大きな納得感がある。
また、一首は倒置によって認識の順序とは異なる提示をされている。認識の順序としては、〈おぼろ豆腐を箸で食べているのを見る〉→〈恋文をやさしく開ける人だと思う〉だろう。これをそのまま一首にすれば、〈崩さずにおぼろ豆腐を食ふきみは恋文さへもやさしく開けむ〉とでもなろうか。ただ、これだとやはり、おぼろ豆腐を食べる動作と恋文を開ける動作の繋がりがやや唐突になる。「箸」というアイテムの挿入も難しい。
一首は、まず恋文が提示されることで、甘やかな相聞の気配をまとう。おぼろ豆腐を箸で食べるという動作もその気配の支配下に存在することで、一首の中で違和感なく恋文を開く動作に重ねられる。未来を志向した推量の「む」も効いていて、一首の空気感は甘やかだが、必ずしも主体の相手への感情が恋に限定されない感じがあって、とても感じがいい。素敵な一首だと思う。

 

一首の初出は「うたの日」(http://utanohi.everyday.jp)という短歌投稿サイト。開設されたのが2014年4月1日なので、今日で9周年を迎える。歌題を受けて歌を投稿し、互選によって順位が決まる仕組みだ。前回、前々回に歌を引いた大谷ゆかりと千葉優作も別名義でこのサイトに投稿していた。両者とも、日々のクオリアに引いた歌は「うたの日」への投稿歌だ。
オープン日の参加者は16名。それから9年を経て、現在では1日あたり350名を超える参加者がいる。その年月の中で、多くの歌が詠まれ、現在も読むことができる。

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った 近江瞬/歌題「盗」,2019.2.25
花びらがひとつ車内に落ちていて誰を乗せたの始発のメトロ toron*/歌題「始」,2019.3.6

「うたの日」において秀歌(10点を超える歌)を記録した一首。それぞれ、近江瞬の『飛び散れ、水たち』(左右社,2020年)、toron*の『イマジナシオン』(書肆侃侃房,2022年)の帯文に掲載されている。両歌集は話題となり、増刷もされた。また、角川短歌賞を受賞した山川築(2018年)や田中翠香(2020年)など、新人賞の受賞の言葉で「うたの日」への謝辞を述べられているのを読むことも増えた。

「うたの日」は管理人であるののさん個人の尽力によって運営されている。参加者が増えれば投稿先を増設し、過去の投稿を検索できるアーカイブ機能を付し、トラブルが起きれば解決に動かれていて、本当に頭が下がる思いがする。「うたの日」で育った歌人のひとりとして、本当にありがたいことだと思う。

(日々の運営を本当にありがとうございます。そして、9周年おめでとうございます。)

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