魚村 晋太郎


ヒヤシンスの根の伸びゆくをみつめいる直線だけで書ける「正直」

鶴田伊津『百年の眠り』(2007年)

ヒヤシンスは秋植えの球根植物で、春先に香りのいい総状の花をつける。
地中海沿岸の原産で、日本に入ってきたのは江戸時代末期。風信子とも書く。
花壇や鉢にも植えるが、水栽培にも適していて、子供の頃、学校の教材で栽培した経験のある人も多い。

「正直」という字には、曲線の部分がなく、直線だけで書くことができる。なるほど。それは、いかにも「正直」という言葉に相応しい。
一首には、まずそういう発見がある。
では、一首の主人公は、正直な人なのか。

気の利いた下句には、正直であることは素晴らしい、といっているような響きがある。
しかし、主人公が見つめているのは、ヒヤシンスの根。花でなく根、である。
たしかに透明な容器のなかを伸びてゆく根は印象的で、つい見つめてしまうけれど、その根は直線ではなく、成長するにつれて容器の中で巻いたり絡んだりする。
自分のこころはけっして、直線だけで書ける、ようなものではない。

歌集には「嘘をつく必要のない暮らしかな子の食べしもの記しておきぬ」という歌もある。
結婚をし、出産をし、あたらしい家族のなかで自身を回復してゆくような主人公の姿が歌集の基調になっているが、人のこころには、正直か不正直か、嘘かほんとか、では割り切れないところがある。
シンプルな生活によろこびを感じながらも、そのシンプルさにおさまりきらない自分自身に主人公は気づきはじめた。
そんなふうに読んだのだが、読者の、正直観、も読みのなかに少なからず表れているのかも知れない。
ときに一首は、読者自身をうつす鏡でもある。