何気なく凭れしものが確かなる支えとなりて冬の雲見る

高安 国世『湖に架かる橋』(石川書房  1981年)

 

 壁かドアか柱。あるいは、橋の欄干、鉄棒。はたまた、本棚、冷蔵庫。いや、仕事用の椅子だろうか……。

 もたれるつもりはなかったけれど、ふと身を預けた時に、雲が見えたのだ。ここは野外かもしれない。外がよく見える、窓のある部屋かもしれない。

 

 「何気なく凭れし」は、無意識のうちに積もっていた疲れの存在を示していようか。頭ではわかってなかったが、身体は知っていた。何かに寄りかかりたかったのだ。

 「ものが」は、「もの」+ 主格を表す「が」であるけれども、どこか、古語の「ものの」、「ものを」、「ものから」、「ものゆゑ」などの、逆接めいた雰囲気を持っている。はからずもというニュアンスが出ている。

 

 その凭れにより、視線の角度が変わった。今まで目を向けていなかった空を見る、それもしっかりと見ることへと変化したのだ。

 そうしてみれば、「冬の雲」はいかにも冬の雲らしいものだったろう。冬の空には、ぼやっとした綿雲が多い気がする。それが風が強いと、みるみる崩れていく。また、雪を降らす分厚い雲もある。

 

 「冬の雲」だなあと思ったのだ。おそらくは、ここしばらく、まじまじと空を見ることなどなかったのだろう。上を向くことすらなかっただろう。季節は巡っているのに、日々の忙しさに取り紛れて、眺めることがなかった空。「確かなる支えとなりて」は、「確かなる支えとなして」ということでもある。今、本格的に、雲を見ることを選択した。そういうひとときを自分に与えることを許したのだ。

 

 思えば、何にも寄りかからずに一人で立っているというのは驚くべきことだ。みんなよくやっている。それは、身体的なことでもそうであるし、象徴的な意味からもそうだ。

 時々は支えが欲しい。いや、意識はしていなかったけれど、支えが欲しかったことを、このような瞬間に知るのだ。

 

 ああ、雲。

 

 冬の、ほんのひとときのこと。

 

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